世界中を旅するように

世界中を旅したい、自由に暮らしたい!そんな夢みがちな私と料理人の夫との毎日をゆるーく綴ります。

誰かの手紙が、心を空へと。

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私がまだ子供の頃、東北の片田舎にいた時のこと。
吉幾三の歌ほどではないけれど、何も無かったように思う。

まだネットが今のように流行ってなかったから、
入ってくる情報はテレビと雑誌だけ。
手にする情報が伝えてくる「憧れの世界」には、
痩せててキレイでお洒落な友達がいて、
子供でもいっちょまえに恋愛して、
遊んでばかりで勉強はしてなさそうなのに、
やたらとかっこいい制服の学校に行ってて、
賑やかで、夢があって、日々が楽しそう!だった。

それに比べて自分の周り。
話題になってるドラマが映らなかったり、
雑誌に載ってたものがいつになってもお店に並ばなかったり、
登下校はジャージだったから、
友達はおろか自分でさえ全くお洒落ではなかった。
やることは勉強か、テレビを見るか、友達としゃべってるか。
カラオケやレンタルビデオはあったけれど、
手に入れたいものは一時の娯楽ではなかった。
田んぼと、山と、年の半分は雪で覆われる世界の中にいて、
子供心に、世界から隔離されてるような気がした。

そのうち勉強は、受験という名の追い込みになり、
遊ぶことも映画を観ることもままならくなった。
閉塞感満載の日常になっていく中、
私の心を解放してくれていたのは音楽だった。

バスに乗って一時間のところにあった中心街には二つほどデパートがあって、
その中に「○○堂」という名前のCDショップがあった。
そんなの広くはない店内だったけれど、輸入盤も置いてあって、
メジャーではない海外の音楽もそこで聞けた。

楽しみは、手書きで書かれているCDの紹介文。
赤い紙に黒いマジックで書きなぐられた文字は、
まるでニューヨークのストリートに書かれた落書きみたいに、
パッと目に飛び込み、カッコよかった。

店員さんは皆若い男性ばかりだったけれど、
その紹介文は一人の人が書いていたようだった、
どれも同じ字体だった。

書かれてるものは普通でシンプルだったけれど、
手紙のように思えて、私は一枚一枚丁寧に読んでいた。
試聴すると、その手紙の通りの音楽が流れてくる。
「ああ、本当にそうだね。そんな感じだね」って、
見知らぬ赤い手紙の主に相槌を打っていた。
その時間が、すごく楽しかった。

いつか、ある手紙に出会った。
「このジャケット見て!この可愛さだけで買っても間違いない。
 とにかくこの世界、心地いいよ」

その言葉につられて、私はそのCDを買った。

それがコレ。


Nelson Rangell - Truest heart (1993) - - YouTube

どんな曲なのか、誰のCDなのかよく分からなかったけれど、
生まれて初めてジャケ買いした。
どうしてそんな衝動になったのか、
この世界は心地いいよ、の一文で買ったのか、
ジャケットが可愛かったからか、
今となってはよくわからない。
けれど、曲を聴かないで買うって、
その頃にとっては大冒険。

帰りのバス、ドキドキしながら聴いた、
ウォークマンから流れてきたサックスの音色は、
とにかくキラキラしていた。
涙が出るほど心地よく、心が鳥のように空を飛んだ。

どこまでもいけるって、感じてしまった。

そして大人になった今。
この一枚が、人生で一番好きなCDになっている。
東京で一人暮らしして一人ぼっちだったとき、
失恋してつらかったり、つまずいたり、孤独だったとき、
この曲を聴いて、心を空に飛ばした。
そうすると、目の前のどんなことからも大丈夫な気がしたし、
膝をつくしかない時でも、まだ行けるよって立ち上がれた。

このNelson Rangellって人の曲もすごく好きだし、
それ以上に、このCDに出会ったときの感覚が、
きっと何かを変えたんだと思う。

あの時の、赤い手紙の主は、
自分の書いた一言が、
誰かの人生を大きく支えているなんて、
きっと知らない。

彼が書きなぐってた一方通行の手紙が、
誰かの心を空に飛ばした。
そんなささやかな奇跡のような、感動のような体験が、
人生にはたくさんあって、
もしかしたら私も、
どこかで書いたものが、
誰かの心を飛ばしてるのかもしれない。
そうではないかもしれない。

でも絶望しないための杖は、
世界中のいろんなところに転がってるのではと思う。
前に進むための小さな装置は、
すごく見つけづらいけれど、案外簡単なところにあったりして。

そう思うと、
この世界は、
本当は奇跡の連続なのだなと、
少し思ってみたりする。